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餃子製造機はバイクのマフラーのプレス技術から産まれたらしい

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東京餃子通信編集長の塚田です。

東京餃子通信でも何度かご紹介をしていますが、日経テクノロジーonlneで徐航明さんが連載している「食文化とハイテク」に新しい餃子関連の記事が公開されていました。

今回も『オートバイと餃子の「出合い」』というタイトルでの「出合い」主役は餃子製造機のトップシェアを誇る「東亜工業」。

先日マツコの知らない世界に登場した浜松餃子の「浜太郎」の運営元の会社でもあります。


まずは餃子製造機のすごさをご覧頂きたいので、餃子製造機が特集されたこちらの動画をご覧ください。1時間に1万個の餃子が作れるとのこと。

私は頑張っても1時間に作れるのは恐らく100個ぐらい。
100倍の能力差です。




そんな餃子製造機がどのように産まれたかというと、1960年代までさかのぼります。
先代の社長である請井由夫さんがオートバイの部品製造会社を1963年に創業しました。

特にマフラーのプレス技術に長けていたらしいのですが、そのプレス技術の応用として作られたのが餃子製造機でした。
金型には雄と雌があり、その間にステンレスの板を通し、プレスして、マフラーが造られる。このようなプレス技術は、両手で皮を挟んで、餃子の具を包む作業と非常に似ている。
たしかに、ギュッと包む動作と金型でプレスするのは似ている様な気もしますね。
100均とかで売っている、プラスチック製の餃子包みも金型みたいなものですよね。

ただし、プレス技術がそのまま応用できたかというとそういう訳ではなかったそうです。
ステンレスを自在に曲げるプレスのノウハウがあったとはいえ、薄い餃子の皮に軟らかい具を包み、形を整えていくという作業の機械化は、失敗と挑戦の連続だった。
皮の厚さが顧客の好みによって異なるというのも大変だったようです。
私は厚目の皮が好きですが、パリパリ感のある極薄皮が好きな方も多いですからね。

何気ないちょっとした手の動きも機械で再現するのは難しかったようです。例えば皮を圧着するために水をつける動作。

これらの技術的課題をクリアして、ようやく餃子製造機が世に出たのが1976年。
開発にものすごい長い年月がかけられていたのですね。

その後、浜松という地の利を活かし、販売先の餃子職人たちからの要望をとりいれ、餃子製造機はどんどんと進化して行きました。

例えば焼き面をフラットにする技術。
焼いたときのバリバリ感の香ばしさは焼き餃子の美味しさの重要なポイントだ。そのため、焼く時にできるだけ鉄板と接する底面が広い方が望まれる。東亜工業の小型餃子機器では、具を皮に入れた後、素早くピストンが落されて、焼き面をフラットにすることができる。
確かに浜松の餃子は底面が均一にカリッと焼けている餃子が多いです。
機械化のメリットというのは、こんなところにもあるんですね。

マフラーのプレス技術から、餃子製造機が産まれたというのは非常に興味深い話でした。

記事詳細は、是非日経テクノロジーonlineの『オートバイと餃子の「出合い」』をご覧なってみてください。

次回も東亜工業関連の記事が続くそうですよ。