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「宇都宮餃子会」永世大使の 沼尾博行さんの講演を聞いてきた

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先日、東京理科大学専門職大学院MIPに行って来ました。
私は知財も特許も門外漢なのですが、わざわざ大学院までやってきたのにはわけがあります。


今回のオープンセミナーは「宇都宮餃子の成功の秘密」と題して、宇都宮餃子会の永世大使でもある沼尾博行さんの講演が行われたのでした。

沼尾さんは宇都宮餃子のブランドを作り上げてきた、まさに宇都宮餃子の生みの親的存在の方です。

宇都宮餃子という地名+一般名称で商標がとれた事例の先駆け的な事例ということおあり、知的財産戦略専攻の大学院で講演とういことになったようです。




沼尾さんは、大学卒業後に一旦民間企業に務めたあと、宇都宮市役所に入所。教育委員会に配属後、1989年に商業観光課に配属されてから、宇都宮餃子の物語は始まります。

観光課のミッションは、もちろん観光による旅行者の誘致。
とはいえ、当時の宇都宮には観光地も名物もなかったとのこと。唯一の観光地であった大谷も大規模な陥没が起きたため観光は大打撃を受けてました。

そんな中、市職員の研修で他の職員から総務省家計調査年報で宇都宮が全国一の餃子消費都市であることを知り、沼尾さんの活動は始まりました。

後で「秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし」という書籍で知ったのですが、研修でこの提言をおこなったチームのリーダーは塚田さんというお方。なんか縁を感じますね。

さて、沼尾さんの活動に戻りますが、まずは、自らが食べ歩き「餃子マップ」を作成。駅や掲載店で配布を開始。いまでこそ、宇都宮といえば餃子の街として有名ですが、当時は観光課の部下ですら餃子での町おこしに関して否定的だったといいます。

そこから2年の月日、沼尾さんは単独での餃子店めぐりを続けます。そして1993年に「みんみん」の伊藤社長をはじめとする5人の餃子店の店主と共に宇都宮餃子会の設立に動きます。沼尾さんの地道な活動の効果もあって、設立当初から38店舗が参加。最初の活動として、「ふるさと宮祭り」会場での「ギョッ!theフェスティバル」という早食い大会が行われました。

そして、宇都宮餃子のブレイクのきっかけは意外なところからやってきます。
知人の娘さんの高校の学園祭の盛り上げ企画として「おまかせ!山田商会」という番組が宇都宮にやってきたのです。その打ち合わせと称して、沼尾さんは番組プロデューサーに熱烈に宇都宮餃子をアピール。沼尾さんの熱意が伝わったのか、「おまかせ!山田商会」で全7回放映される一大企画として全国に宇都宮餃子が紹介されたのでした。

餃子祭りも駅前の餃子像も餃子弁当も餃子ソングもキャラクターも、すべてこの番組で生まれました。市の予算を確保していなかったので、すべてがボランティアベースですすめられたというのも信じられないような話ですが、実話とのことです。

その後、宇都宮餃子が全国区になるなかで、宇都宮餃子会の協同組合化、宇都宮餃子の商標登録、ナムコ・ナンジャタウンへの出店など、着々と地盤を固め、現在の「宇都宮=餃子の町」というブランドを確立に至るとのお話でした。

市役所の一職員であった沼尾さんの熱意が餃子店のみならず、どんどん周りの人を巻き込んでブランドを作り上げていくという、非常に感動的なお話でした。

最後に沼尾さんが「とにかく(餃子店の皆さんには)安全で美味しい餃子を作り続けて欲しい」とおっしゃられてたのが印象的でした。広告やマスコミの取材、イベントなどで盛り上がっても、結局は安心して美味しい物を食べられるというのが一番大切なんだと実感しました。

宇都宮餃子の物語はこちらの書籍にも詳しく載っていますので、ご興味があるかたは読んでみてください。